投稿者「staff-ari」のアーカイブ

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手話de和紅茶の会

7月和紅茶の会は「七夕」でした♪

暑くなってきたので今回はアイスティーでのご提供も用意されていました(^^)

七夕にちなんだ干菓子を添えて★

そして今回はふらっと立ち寄りいただいた高齢男性や手話サークルの方々にお越しいただきました♪

なんと和紅茶の先生は手話通訳ができるほどの技術があり(そんな特技があったとは!)私も興味津々です!

色々教えてもらった中で印象に残ったのは「七夕」を表現する手話です☆

胸あたりで手の甲を見せ、親指と人差し指と中指を横向きに両手で漢数字の「七」をつくります。(ん~ 百聞は一見に如かず。写真でどうぞ!)

こんな感じ。(いや、私が調子に乗ってラッパーっぽくポージングさせております^^;)

もっと手話を学んでみたいと興味がわきました!

(ななーるカフェで手話の会の立ち上げお待ちしてますよ!)

そして今日も小粋な小物類で楽しませてくれる先生でした♪

次回は8/4(木)10:00~12:00

ご予約不要ですので、お気軽にご参加ください☆

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⑨「離婚をしたい」と娘に告げる

看護師として患者さんに接することは慣れていました。しかし家族、しかも夫となると話は別です。患者さんならプロとして気持ちを完全に切り替えることができます。ですが長い夫婦生活の中には他人にはわからないいろいろな歴史があります。まだ娘が小さいころ、私は娘を連れて家を出たことがありました。小さな娘と部屋を借りて2人でしばらく暮らしました。それでも「娘が成人するまではなんとしても片親にさせない」と決心し、もう一度やり直しました。夫が手術後に意識が戻って「三途の川が見えた」と言ったときに「なんで渡らんかったんや」と言ったのもそんなことがあったからです。

その娘も結婚しケアマネジャーの仕事についていました。だから夫の状況もよく理解して手伝ってくれました。子どものころから私と夫のことをずっと見てきた娘です。結婚もして夫婦のこともわかる年になっていました。それでも娘にとって夫は子どものころにいつもニコニコして優しくしてくれた「お父さん」なのです。やはり父娘です。

けれども夫婦は他人です。私の思いは娘にはわからないところもあったようです。

排便のトラブルが何度も続いたり、私への暴言が続いたとき、とうとう我慢ができなくなりました。身も心もボロボロになり一度娘に「お父さんとはもう離婚したい」と涙をこぼしてしまいました。後にも先にもこのときだけです。

娘は驚き、ようやく私の気持ちを理解してくれました。

在宅看護ももう12年を過ぎていました。夫の要介護度は3のままでしたが、自分でできることはだんだん減っていきました。あとどれくらいこんな生活を続けることができるだろうと私は考えるようになりました。

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学習スペース

春休みからスタートした出張駄菓子屋さん。

「水曜日のおばちゃんが来てくれる日だけ開店」と言いつつ現在までほぼ毎週開店しています♪

顔馴染みさんも増え、短時間ですがたくさんの方が来てくれ、ななーるカフェは賑わっています♪

先日は減災ナースとコラボで「防災クイズ」をしたり(最近地震も多くて心配です)

宿題したり、マンガを読んだり、ピアノを弾いたり

奥に行ってみたいと言う子にはグループホーム内を一緒に探検もしてます(おじいちゃんおばあちゃんはかわいい子ども達が来てくれて喜んでいます♪)

今後はサポートしてくださる方も募り、この場所をもっと有効活用出来ればと思います♪

 

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ひまわり第一号開花

いきいき東豊中のひまわり第一号が開花していました!

昨年管理者の看護師2人が育てたひまわりの種から成長したものです。

発芽率怪しいからなぁ~とか思ってたくさん撒いたら9割以上芽が出てビックリ!

優しいスタッフが間引いたひまわりを移植してくださったおかげで、いきいきはひまわり地帯です。(想像以上に背が高い子達です。いっぱい咲いたらブログにアップしますね)

たくさん採れた種は看護イベントや、ななーるカフェに立ち寄られた方にお配りさせていただきました。

きっと元気に咲いてくれることでしょう✨

植物の命がつながっています♪

いきいき花壇のPOPにもお花の種を置いています。ご自由にお持ち帰りくださいね♪

 

 

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スタッフへのご褒美

梅雨明けしちゃいましたね!

セミたちが急いで出てくる準備をしてることでしょう^^;

さて先日、スタッフへ城崎温泉旅行のご褒美をいただき、一部スタッフが第一号として行ってまいりました♪

コロナ自粛も緩和され、久々の旅行にみんなウキウキ❣

ママさんパートが多いこともあり、子ども達の参加もOKが出たのでにぎやかな旅になりました!(ありがたい✨)

途中で工作体験をしたり(木を使った時計や貯金箱、折りたたみ椅子を製作。大人も真剣‼)

ロープウェイに乗ったり

とっても楽しい思い出ができました♪(こどもの数がいっぱい‼)

明日からまたがんばろう!

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⑧昼夜逆転の生活と転倒

デイケア以外、つまり家にいるときはずっとテレビを見ています。すると生活のリズムが崩れます。人間は昼夜逆転の生活になると体の恒常性を保てなくなり、日中はボーっとすることが増え、せん妄などの障害も発症しやすくなります。

私は、夜間はテレビを消して睡眠をするように言いましたが、私が部屋を出ていくと夫はすぐにまたテレビをつけるのです。何度もそのことで口論にもなりました。しかしやめることはありません。案の定、頭がぼんやりするのか家の中で転倒を重ねるようになったのです。

トイレに行くときに手すりをつかむだけでなく杖を使ったほうがいいよと言いましたが、夫は杖を使うことも嫌いました。そのためバランスを崩して転倒することが増えたのです。ひどいときは1日に8回も転倒したこともありました。

ある夜、寝ていると「ドスン」と大きな音がして「助けてくれー」とうめき声が聞こえました。驚いて見にいくと夫が廊下で倒れていました。トイレの帰りに転んだのです。大きな体の夫がひっくり返ってカメのように手足を動かしているのです。私の力では到底起こすことなどできません。両足を引っ張って廊下を引きずりながらなんとか部屋まで連れて帰りました。もうヘトヘトでした。

そんなこともあり、夫はとうとう肋骨を骨折してしまいました。ますます運動もせずに1日中テレビを見て過ごす日々が増えました。80キロあった体重も60キロほどに落ちました。その姿に私はこの生活がいつまで続くのかと心が荒みはじめました。家庭内の介護疲れで言うことを聞いてくれない家族に対して介護者が暴力をふるうというニュースをよく聞くことがありましたが、私は自分がそういう立場になってその気持ちがよくわかりました。けっしてきれいごとでは済まされない状況を身をもって体験しました。

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⑦むずかしくなった近所づきあい

夫は左半身に麻痺がありトイレなどに行くには不自由がありました。トイレの介助にも手が掛かります。一時期は体重が80キロほどありましたので私が一人で支えることも困難でした。本人が手すりを伝って一人でトイレに行けるまで歩行機能は回復していましたが、それでも間に合わずに廊下や布団が汚れてしまうことも一度や二度ではありませんでした。しかし、そんなことは看護師の経験をしていた私にとってはそれほど大きなことではありませんでした。私がなんとかすればそれでいいのですから。

紙オムツをしていても無意識にトイレに流してしまうこともありました。マンションの10階に住んでいましたので、トイレが詰まれば下の階にも迷惑を掛けることになり、そうなるとわが家だけの問題ではありません。

また、デイケアに出掛ける日は、マンション1階のエントランスまでお迎えがあるので、私がエレベーターホールまで介助しながら連れて行くのですが、当然ご近所の方にも会うこともありました。すでにコミュニケーションがとれなくなっていましたからあいさつもしません。それどころかいきなり暴言を吐くこともありました。かと思えば機嫌の良いときは阪神タイガースや大相撲の話題を話しかけたりしました。不思議なことにタイガースと相撲の話題だけは選手や力士の名前や順位や成績のことは間違えずに話せるのです。近所の方にとっては迷惑だったと思います。デイケアのスタッフからの苦情と同様にそんなことが私には気が重くなる出来事となっていきました。

 

 

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私が新卒で訪問看護師になる事を志したワケ

こんにちは!今年度新卒入社した金谷です!
今回は、私が新卒で訪問看護を選んだ理由をお話ししたいと思います。進路で悩まれている方、私が新卒で訪問看護師を志した理由を知りたい方(笑)、ぜひ読んで下さい。

新卒看護師の進路

新卒扱いの看護学生の進路は、一般的に病院が大半を占めます。特に4年制大学で附属病院がある大学出身者は、大学附属病院へ行く人も多く、私の卒業校・大阪大学も例外ではありません。他の進路としては、他学部と同じように企業就職する人も稀にいます。そして、そのまま臨床には出ずに大学院へ進学する人もいます。私も大学卒業後はそのまま大学院へ進学した部類です。

私の大学院進学理由は、①病院で看護師職に就きたくないけどやりたい仕事も決められずもう少し考えたかった、②研究室の先生がとてもアグレッシブでもう少しついていきたかった、③卒業研究が予想以上に面白くもう少し研究活動に取り組みたいと思った、の3点です。大学生時代は座学の成績は下の下、納得しないと何事も受け入れられない性で悪目立ち(笑)、実習も(納得出来ないことが多くて)やる気がない、そんな生徒が大学院進学すると聞いて驚いた先生方は多かったと思います。

しかし今では更に進学し、博士課程に在籍しているのだから人生不思議なものですね(笑)

そして、大学卒後すぐ大学院進学した新卒の進路としては、病院へ入職する人、看護師職とは関係なく企業就職する人、人数としてはまちまちで、病院へ入職する人が上回るくらいでしょうか。

私の場合

私の場合、3つの進路候補がありました。①病院で看護師職②企業就職③大学院博士課程へ進学、です。私の中ではそれぞれにメリットデメリットがありました。

①病院で看護師職

病院で看護師職に就く場合、モチベーションとして「臨床経験を積む為」それだけでした。「研究者として考えた時に臨床経験が無いと説得力に欠けるかも」「臨床経験3〜5年の肩書きが将来的に必要になるかもしれない」それらの思いから病院就職を考えました。病院でこういう看護がしたい、等そういう理由では無かったわけです。浅過ぎる!笑
そして、病院就職のメリットは臨床経験が積めること、デメリットは臨床経験という名前の為に数年間を興味のあまり大きくない看護内容に費やすかもしれないことでした。それならその数年間分で興味のある事をしたら良いし、こんなモチベーションで病院就職したら性格上絶対すぐ辞めてしまいそう、、と思い候補から除外しました。

②企業就職

これは大学時から念頭にあった考えです。ヘルスケアや高齢者ケアに関する業界で何か社会が良くなるような働きがしたい、大学院で取り組んだデータサイエンスをもっと現場で使えるように落とし込みたい、そういった事をやりたいかも、と思っていました。しかし、そういう事をやるにはどの企業が良いのか?どういう業界がよいのか?調べましたがなかなか答えが見つからず、私のやりたい事をやれる場所が分からず、また行きたい企業も見つからず、中途半端だと考え断念しました。
特に大手企業の就職活動は3月ごろに解禁されると言いますが、その時期になっても私は行動を起こさなかったのです。それは即ち、企業への就職に対し、想像以上に今意欲が無いんだということだと思ったのです。それが断念した大きなきっかけでもありました。

③大学院博士課程へ進学

修士課程で研究活動に参加する中で、研究活動の面白さ、知識が深まっていく面白さを実感していきました。研究活動に携わり続けたい、その思いが大きくなりました。昔から好奇心も強く、知らないことを探求することに対する抵抗のなかった私は、想像以上に研究活動と性格がマッチしていたのかもしれません。
しかし、臨床経験も無く博士課程へ進学してよいものかとても迷いました。周りの大学院生は臨床経験後に進学されている方も多かった為です。臨床経験後に進学されている方は、臨床課題を持って進学していたり視野の広さも違います。そのような方々と過ごす中で私も何か私だけのものをしっかり持って進学したいとも思うようになっていたからです。しかし将来的に考えると進学することになる、それならいっそ今といった思いが強くなり、進学を決意しました。

ななーるへの就職

大学院進学を決意し始めた頃、上記のようにやはり臨床経験も積みたいと再び思い始めました。しかし前述の通り病院は避けたい、そう思った時に臨床に出るなら訪問看護かなぁとぼんやり思い始めました。研究室では高齢者ケア特に認知症ケアに重きを置いており、研究内容も在宅の認知症者に関連するものでした。また、実習の中では在宅看護が最も「個別性のある看護」を体現していると感じていました。その為、訪問看護に携わりたい思いは以前からふわっと持っていたのだと思います。

ななーるを選んだ理由は、「生きるを活きるに導く」これは利用者様を「患者」として見ているわけではなく、「ひとり」として見ていてその人の「生活」がそこにあると考えているからなんだろうなと思ったからです。
生活は、持病の有無に関わらず根底にあると思います。生活が豊かだと人は豊かになると思います。その「生活」は、人との繋がりや身体の状態、精神状態、食事、色々なもので成り立っていると思います。その「生活」を軸に考えられる看護、それに取り組みたいと思ったからです。

現在

現在、ご存知の通りななーる訪問看護ステーションに新卒で入社しています。
その一方で大阪大学大学院の博士課程へも進学していて在籍しています。大学院は今年度は休学していますが、結局二足の草鞋を履いて頑張っています笑

訪問看護に踏み出すキッカケも動機も人それぞれあると思います。その中でも新卒で踏み出そうとするには勇気がいると思います。でも踏み出さないと始まらないのも事実です。私の決断が少しでも誰かの参考になればと思います!

ここまで読んでくださったみなさんありがとうございます!
明日からも1つ1つの訪問を大切に頑張ります!!

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「訪問看護がやりたい!」という看護学生が新卒でも訪問看護師を志せるよう、
私自身がその布石になれればとも考えています。
ブログの拡散、いいね!押して貰えるととても嬉しいです!
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文責 金谷玲子

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⑥夫の人格が変わってしまった

自宅と違うデイケアの環境で夫はパニックを起こすようになりました。そうなると感情コントロールができなくなるのです。あまりにもデイケアの人に迷惑を掛けるので環境が合わないのかと一度、別のデイケアを手配し夫と体験見学に行きました。しかしそこでのランチタイムに夫はまたパニックを起こし、大きな声を上げて着席することもできずに立ったまま食べ始めました。そのあいだに周囲の利用者の方々にたいへんな迷惑を掛けてしまいました。これではそこにお世話になるわけにはいきません。何度もお詫びを重ねてなんとか慣れた環境の元のデイケアに戻ることになりました。

デイケアセンターには看護師は2名ほどで、他は介護福祉士やヘルパーの方です。高次脳機能障害についての知識をもっているスタッフもいないなかで夫はただの「こわい利用者」として映っているようでした。日中、隣にいる利用者に突然「あっちへ行け!」と怒鳴ったり、テレビを見ている人の横にいっていきなりチャンネルを変えたりもしたようです。スタッフも困り果てて夫を隔離するために個室を用意してくれたりしました。それでも突然大声を出して理性がなくなってしまうのです。私の知っている夫はもともと穏やかな性格です。その変容ぶりは高次脳機能障害から起因するものでした。スタッフがもう少しそれを理解していてくれたら対応の仕方もあったかと思います。だから施設を選ぶ際にはそういった視点も必要だったと今では思います。私が看護師であることも知っているのでスタッフからは「なんとかしてください」と毎回のように言われました。

介護生活のなかでじつはこれが私にとっては最も大きなストレスでした。夫の世話を家庭内でする分には自分の問題として受け止めることができました。しかしお世話になっているデイケアのスタッフにこれだけ負担を掛けているということは毎回の送り迎えの際に痛感せざるをえませんでした。毎日毎日来るこの苦情の連絡に私の心は悲鳴を上げるようになっていました。

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⑤在宅ケアの始まり

自宅に戻り在宅ケアがいよいよ始まりました。相変わらず私の仕事は忙しく介護との両立に苦労していました。勤務していた病院は私が看護部長に就任する際に離職率が高いという課題を抱えていました。そこで着任後は看護師の定着に注力して、4年連続途中退職者0というところまで成果が出つつありました。とは言え看護師長だけでも108名という大所帯です。すぐに退職するというわけにはいきませんでした。そこで「看護部顧問」という立場に変更をしてもらい勤務を減らしてもらうことにしました。それでも週4日のフルタイム勤務です。

ですから私の勤務日は、夫はデイケアにお世話になることにしました。朝の出勤前に迎えに来てもらい、夕方には送ってきてもらいます。夫を送り出してすぐに出勤して夕方には家に戻り迎えるという生活パターンが約2年続きました。これが私にとってはいちばんストレスのかかる時期となりました。

夫は定年までは貿易会社で営業をしていました。温厚で社交的、いつもニコニコしている人でした。娘はそんなお父さんが大好きでした。家では無口なほうで大きな声を出すようなことはありませんでした。それは在宅ケアがはじまっても私の前では同じだったので、私はてっきりデイケアでも同様に過ごしていると思っていました。

ところが徐々にデイケアから苦情が寄せられるようになりました。夫がデイケアで大声を出したり、他の人にちょっかいを出すというのです。そのとき私は高次脳機能障害が進行し症状が出ているのだとピンときました。それでもふだんの夫の姿からその姿は想像できませんでした。家では物事の理解もできておとなしくしているのです。しかし、実際にデイケアに行って夫のその姿を見ると驚きました。私の知る夫とはまったく別の姿をデイケアのスタッフの前では見せていたのです。