元看護部長が家族を介護して分かったこと

塩谷登喜さんはいくつかの国立病院の看護部長を歴任後、民間病院の看護部長・人材センター長を務めた看護のプロフェッショナルである。
その塩谷さんがパートナーの突然の脳梗塞から17年にわたる介護生活を送ることになった。仕事との両立、退院後の在宅看護から特養へ、そしてお別れ。その間、何を思い何を感じたのか、お話をうかがった。

(聞き手:ライフキャリアコンサルタント・松井貴彦)

  • ⑪お別れのとき

    その特養で過ごして1年1か月、別れは介護と同じく突然やってきました。夕方に連絡が入り、私が特養に着いたとき夫はすでに心肺停止状態で心臓マッサージを受けていました。その日、お昼ご飯をたくさん食べ



  • ⑩特別養護老人ホームへ

    そうしているうちに私は73歳、夫は76歳の高齢の域に入っていました。 「このままでは夫も私も共倒れになる」、私はそう思って夫には特別養護老人ホームに入ってもらおうと決意したのです。そのころずっ



  • ⑨「離婚をしたい」と娘に告げる

    看護師として患者さんに接することは慣れていました。しかし家族、しかも夫となると話は別です。患者さんならプロとして気持ちを完全に切り替えることができます。ですが長い夫婦生活の中には他人にはわから



  • ⑧昼夜逆転の生活と転倒

    デイケア以外、つまり家にいるときはずっとテレビを見ています。すると生活のリズムが崩れます。人間は昼夜逆転の生活になると体の恒常性を保てなくなり、日中はボーっとすることが増え、せん妄などの障害も



  • ⑦むずかしくなった近所づきあい

    夫は左半身に麻痺がありトイレなどに行くには不自由がありました。トイレの介助にも手が掛かります。一時期は体重が80キロほどありましたので私が一人で支えることも困難でした。本人が手すりを伝って一人



  • ⑥夫の人格が変わってしまった

    自宅と違うデイケアの環境で夫はパニックを起こすようになりました。そうなると感情コントロールができなくなるのです。あまりにもデイケアの人に迷惑を掛けるので環境が合わないのかと一度、別のデイケアを



  • ⑤在宅ケアの始まり

    自宅に戻り在宅ケアがいよいよ始まりました。相変わらず私の仕事は忙しく介護との両立に苦労していました。勤務していた病院は私が看護部長に就任する際に離職率が高いという課題を抱えていました。そこで着



  • ④リハビリテーション病院へ転院

    夫は手術を受けた病院での治療を終えて約15日、次にリハビリテーションの病院に転院しました。左半身が麻痺状態でした。左足の足首から弛緩性麻痺で足底をつけることができず、左腕も不随意運動を起こして



  • ③看護師として「覚悟」「度量」「品格」

    私がそのように気持ちを切り替えられたのは今思えば私の看護師としての経験に基づくものがあったからかもしれません。私は看護師として長く勤めてきました。とくに看護管理者となってから自分の中で大切にし



  • ②術後の容体急変とその後の入院期間

    手術当日のことをもう少しくわしく言いますと、朝の8時に手術室に入った夫が手術室を出てきたのは21時ごろでした。だんだん麻酔も覚めて意識も戻ってきました。私が「わかる?手を握ってみて」と言うと夫



1 2