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②術後の容体急変とその後の入院期間

手術当日のことをもう少しくわしく言いますと、朝の8時に手術室に入った夫が手術室を出てきたのは21時ごろでした。だんだん麻酔も覚めて意識も戻ってきました。私が「わかる?手を握ってみて」と言うと夫はわずかながら握り返してきました。さらに「足は動く?」と言うと左右の足もわずかに動きました。それで私は少しだけ安堵して家に帰りました。翌朝も仕事に行かねばなりません。ひと眠りして早朝、私は吹田市の自宅から京都の病院まで出勤しました。いくら家族が入院したとはいえ看護部長である限りいつでも職務判断をしなければなりません。まずは職場に向かい当面の仕事の手配をしに向かったのです。その運転中に病院の医師から電話がありました。まだ朝の5時過ぎです。悪い予感しかしません。私は路肩に車を止め電話をとりました。

医師からは「深夜3時ごろから全身麻痺を起こしはじめている」とのこと。私がICUを出るときには手も足も反応があったのに!です。「それでどうするのですか⁈」私は思わず大きな声を上げました。医師は「血栓溶解剤を最大に使用したいと思いますがよろしいですか」と言いました。血栓溶解剤を最大にするということはこれ以上梗塞を拡大させない治療であるいっぽう、術部の止血がしにくくなるという危険も意味しました。なので医師は家族である私に許可をとるため電話をしてきたのです。私は「わかりました。すぐに使ってください」と答えました。これは私に医療の知識があったから即断できましたが、もしそうでなかったら「お任せします」としか言えなかったかもしれません。

勤務先で仕事を片付け夫の入院先に戻りました。夫は完全に全身麻痺状態になっていました。いろんな思いが頭を駆け巡りました。「あぁ、もうこれで夫は一生寝たきりになるんだ」「どうしよう、どうしよう」「私が介護をしていけるのだろうか」「……私が介護をするなら、私の仕事はどうすればいいのだろう」……。夫の意識はあり、私の言葉に反応はありましたがまったく体を動かすことができなくなっていました。目の前が真っ暗になるというのはこういうことなんだと思いました。2日ほど私の気持ちは落ち込んだままでした。しかし、気持ちを切り替えるしかないと思いました。「夫は一生寝たきりになるかもしれない。それは仕方ないこと。後は私が覚悟するしかない」そう思えてきたのです。