ななーるに来てよかった

私たちななーるの看護師の多くは、訪問看護未経験で就職しています。
「やりたい看護ができない」と、悶々とした気持ちで働らくのではなく、常に患者さんを第一に考え、看護の意味を問いながら、やりがいをもって働きたいと願い、当ステーションに来た看護師ばかりです。

はじめは不安でしたが、やってみて感じたのは、訪問看護と施設看護は何も変わらないということ、そして、ななーるの訪問看護は、看護の醍醐味を味わえるということでした。

「ななーるに来てよかった!」という気持ちの仲間たち。ここでは、そんな看護師の体験談をお伝えします。

「自分の看護力が試される」

病棟勤務では、清拭や足浴・手浴は、時間があるときにやるルーティン業務になっていました。また、病棟でのこれらのケアに使える時間は、準備、片付けを含めて15分程度が限界でした。しかし、30分以上かけて、ゆったりとエステのような時間を提供できるのがななーるです。どんどん利用者さんの足や手がきれいになっていく、顔と拭くこと一つでも、基礎に基づき拭くことで、本当に気持ちがよさそうな笑顔に出会うことができます。それに伴い、ふさいだ気持ちが柔らいで、元気になってゆくのが実感できます。
本来看護師に必要とされている清拭や口腔ケアなどは、人を回復に導く大切な看護の技術。その基本的技術の再確認と、病院勤務ではおざなりになりがちなケアを追求し、個人に合わせたケアを通して、自分の看護力を試し、高めることができると感じます。

「自分のエビデンスを試すことができる」

「寝たきりで、ご飯は食べられません」「TPNで栄養管理しています」「関節は固くて動けません」と病院から引き継いだAさん。でも、顔に活気があるので座れるのでは?唾液は飲み込めているんだから嚥下は問題ないんじゃない?という看護のカンが働きました。そのため、少しずつ体を動かし、経口摂取を進めてゆくと、食事はアップし、経口だけで栄養管理できそうな雰囲気になり、関節の可動域も改善していきました。
看護師を長く続けていると「こんな感じの人にはこのようなケアやアプローチがいい」とか、「この感じでは状態が悪化しそう」「この方法の方がこの技術はやりやすい」など、自らが培ってきたエビデンスのようなものがあります。それを発言、実践できるのがななーるのいいところ。病院では、なんとなく・・・。は禁物でしたが、看護師の何となくには自らの経験から裏付けされているものが多いもの。そんな力を培うことができます。

「対話から見つける看護」「対話から計画する今日の看護」

保清が必要な、ある利用者さんは、積極的にケアしたくても拒否される状態でした。無理強いせず、しっかり対話を行うと、拒む理由がありました。それは、女性である看護師に自分の体を触ってもらうのが恥ずかしいという羞恥心でした。それに気が付けたのは、数回訪問し、対話を重ね、思いを傾聴したからです。けれども保清行為は必要。じゃあどうしよう?自分でやってもらう方法へ方向転換!・・・。ほんとのセルフケアを促すことができました。
ななーるは、決まった援助にとらわれず、対話を重視し、自由に看護を考えることができます。病棟では時間に追われ、患者の意思を確認する間もなくケアするのが当たり前でした。しかし今は、訪問時間の半分ぐらいは対話で過ごすことができるので、じっくり話を聴き、利用者さんの気持ちや心の変化を観察することで、この人に必要な看護が見えてくるのは楽しいです。

「心ゆくまで看護を提供することができる」

ストマ増設後、受け入れができていないまま退院してきてしまった方がいました。パウチ交換のセルフケアはなかなか進まない状況でしたが、手技の獲得にこだわる前に、ボディーイメージの変化を受容し、ストマを受け入れられることを一からやりなおすサポートで、徐々にセルフケアが向上していきました。ななーるは、その人にとって何が一番大切か?をみんなで考える風土が根付いています。
病棟勤務では一人の患者さんにじっくり向き合う時間が取れず、看護ケアに不全感を持つことが多くありました。病気の治療がメインとなり、病院で治療が不要になれば退院してしまう。看護ケアは必要でもそこで看護も終了してしまうことが残念でしたが、今はバトンを引き継ぎゆっくりその人と関われるので、互いの満足感につながっています。

「本来の人の最期を体験できる」

「お酒飲んで、たばこを吸いたい」と自宅療養を選んだ末期がんのAさん。酸素5リットルで退院されましたが、帰宅するなり「酸素は待ってくれ、たばこを・・・」と、いきなり一服。退院時は1週間の余命を告げられていましたが、大好きな焼酎やビールを飲み、酸素を吸ったりたばこを吸ったりしながら家族と過ごし、退院後1か月で亡くなりました。息を引き取る数時間前までお酒を飲み、妻と語らい、静かで自然な最期でした。
病棟での看取りは、他の患者さんやナースコールを気にしながらの対応になり、気もそぞろで、家族や患者に申し訳ない気持ちになりがちでした。すべてを受け入れたかのようなご本人と、覚悟を決めた家族のもとでゆったり看取りができるのは、やりがいにつながります。

「相手の価値観を最大限尊重した看護」

「認知症のために部屋が片付けられず困っています」との依頼で訪問スタート。確かに部屋は汚く、散らかっている状況でした。でも、しっかり観察すると、その散らかりにはその方なりの秩序があり、法則がありました。対話で信頼関係を築き、その法則や秩序を知理解し、よりよく生活できるための方法を提案し、片付けを見守ることで、今は徐々に清潔で散らからない部屋になっていっています。ななーるは、認知症の方への専門的な介入方法を研究しています。また、認知症の有無にかかわらず、その人の価値観を尊重することを重視しています。
病棟では「患者はこうあらねばならない」という暗黙の価値観があり、それに反する患者は大きな問題と思っていました。しかし、訪問看護は患者さんの生活の場であり、何年も培ってきたその人の価値観やライフスタイルがあります。そこを看護師が受け入れ、ライフスタイルを維持したままに、その人の価値観を尊重し、よりよく活きる方法を一緒に考えることはとても面白いと感じます。